金塚友之丞の『自己紹介』

『高志路』179号(1960年)掲載の氏による自己紹介

自分は明治23年生まれの数え年69歳、郷里は刈羽郡北条町鷹之巣部落当時は独立の長島村ー、僅か30数戸という山間の農村である。4ケ年課程の尋常小学校を卒業後、徴兵検査まで家業の農事に従事し、明治43年ーハレー彗星の出た年ーから各地の小学校に勤め、大正14年中学校へ転じ、昭和14年50歳に達したのを機として、私立学校へおさまり現在に及んでいる。

その後時世やら学校の性格やらで仕事が煩雑を極め、性来の不勉強に一層の輪がかけられ、娑婆の事には疎くなる一方で、人様の御高説を拝聴すると驚く事ばかりなのは、年の加減とは申しながら情けない次第である。

『高志路』との関係は古いが、先輩知友がぽつりぽつりと姿を消して行き、心寂しいことおびただしく、自分としても御催促を受ける前に、そろそろ退き支度をする時機が到来したように思う。新しい時代に新しい人の要求されるのは動かしがたい理法であろう。

死ぬまでの仕事として書き始めた「低湿地帯」も、近く『高志路』の一大変革が実現すれば、勢い中断の止むなきに至ろうが、書くだけは書残しておいて後世の一人からでも、何等の参考にしてもらえば満足である。実はあの地帯を相当に歩き廻り、書かずにおられなくて始めたものの、まだ「早期田打ち」までしか進行していないので、前途は甚だ遼遠である。

自分は以前の中等学校地理科の免状しかもっていない。下手のよこ好きと云うか何かにと手をだしたが、基礎的の勉強が無いため、一つとしてまとまったものが無く、顧てまことに汗顔のいたりでもある。民俗学に就いては、「もやる」程度で、これが万能の学問だなどとは考えたこともない。と同時に、その重要性も十分に認め、一歩でも前身させていきたいものと思う。徒に循環運動ばかりしているのでは飽きが来る。