三八豪雪と道路除雪

(新潟日報社『雪のカルテ』78Pより)
前年暮れに開かれた新潟県防災会議で国道8号については「場所によっては一車線、大部分については”昼夜の別なく”車がすれ違える」道路交通を「県と北陸地建で確保するという手はずになっていた」。

「なにしろ道路除雪を手がけたのはことしが初めてでしょう。それにあの豪雪だ」(京坂長岡工事事務所長)

従来一級国道は建設省が作ったあと維持管理は都道府県管理。「しかしそれでは地方の財政力次第で、なかなか道がよくならないというので、最近国がその一部を直轄管理し、修理から除雪までいっさいをやるようになってきた」(同86p)。新潟県内の一級国道は新発田市猿橋ー新潟市ー黒埼町金巻間、三条市西本成寺ー長岡市ー柏崎市花田間、南魚沼郡湯沢町熊野ー三国トンネル間の計108.3km。同区間で計53台の機械を投入し、1月22日までは除雪ができていた。同日夜半からの積雪によって、中之島町で屋根雪が道路を塞ぎ、中之島ー長岡間が吹雪で吹きだまりが生じ、三条ー長岡間が不通になる。

「手はずになっていた」の内容

豪雪発生の半年前にあたる1962(昭和37)年7月、県は「防災本部設置要綱」をとりまとめ。この中で雪害予防について道路除雪で県と北陸地方建設局の分担を決めていた。

  除雪道路延長(km) 除雪機械台数
  第1種 第2種 第3種 所有 協力 借上
北陸地建 169   25 194 63   146 209
新潟県 228.8 564.8 798.1 1,785.7 132 115 11 258
合計 397.8 564.8 823.1 1,785.7 193 115 157 467
  • 第1種—2車線以上の常時確保
  • 第2種—1車線を確保し、ところどころに待避所を設ける
  • 第3種—1車線の交通確保を原則とするが、降雪の状況によっては短区間または短期間の通行止めはやむを得ない

豪雪時には1級国道、2級国道、地方道を1次、2次、3次に分けて速やかに除雪し、平常に復するとし、総延長は644.2km。うち北陸地建の受け持ちは、1次で上記第1種と同一の169km、3次で上記第3種の25kmを分担。(『新潟地方を中心とした積雪地帯における冬期間の物資流動の実際と交通体系改善策調査報告書』昭和39年3月積雪研究会)

ただし北陸地建が昭和38年当時所有していた除雪機械は、ロータリー除雪車8台、除雪グレーダ10台、除雪ドーザー17台、除雪トラック5台など合わせて44台。翌39年で72台となり、要項を満たした。(北陸地建監修・日本建設機械化協会北陸支部編『除雪機械の歴史』)

「ことしが初めて」の検証

1956(昭和31)年に積雪寒冷特別地域における道路交通の確保に関する特別措置法が成立し、翌年から「第一次雪寒6カ年計画」(事業規模6年間で152.81億円)がスタート。北陸地建では1959(昭和34)年度に富山、金沢工事事務所(いずれも国道8号、富山43km、石川51km)で、1961(昭和36)年度新潟国道工事事務所、1962(昭和37)年度上越国道工事事務所で道路除雪が行われるようになった。(『除雪機械の歴史』)

実績では37年度で5事務所になっており、富山、石川、新潟、上越に加え長岡が加わった模様。37年度の除雪延長は253.1km。三八豪雪前年に除雪を開始した新潟国道でも(先行していた石川・富山の除雪分から引き算すると)30km前後の除雪実績のみ。長岡国道は三八豪雪が初めての除雪だった。

コメントの主は京坂元宇長岡国道工事事務所長(当時)。1868(昭和43)年発刊の記念誌でも述べている。

昭和37年度は長岡で始めて国道の直轄管理をはじめた年である。2年前の様なドカ雪はまさかないだらうと云うことで、20台近い機械の配置を決め、仮泊所もきめて用意おさおさ怠らない体制をとっていた。

北陸地建十年史「思い出」

同上に1月22日長生橋の近くで除雪中に市民を轢いた死亡事故が発生したとあるのは要確認。

除雪した道路・通行不能箇所と区間

1月8日

西頸城・佐渡の海岸線で暴風。床下浸水35、道路破損7、橋の流失1、護岸決壊7、船の流失5などで列車は「日本海」「北陸」「きたぐに」「白山」などが運休。富山県では185世帯が高波被害。魚沼地方では急な積雪で湯沢70cm、六日町60cm、十日町でバスが運休。スキー場には恵みの雪となった。この時北海道、東北、中部、山陰、北九州でも大雪。(新潟日報)

1月12日

「ドカ雪で鉄道は全面ストップ」(地建十年誌京坂元宇)。この時点では長岡国道は除雪ができていた。県内では国道8号青海以西(ネックは親不知か)が1月8日頃から途絶し、富山との連絡ができなくなっていた(『雪のカルテ』)が、通行不能はこの1箇所のみ。小千谷国道17号が「40年ぶりの集中豪雪で13日正午現在積雪1m80cmでなお降り続」き、これまで県土木と市で除雪に努めていたが車両交通ストップ。客車・貨物は13日にかけて106本運休(新潟日報)

1月13日

長岡地域で猛吹雪となり、午前中に越後滝谷駅構内でラッセル車が脱線し、北長岡駅付近で上野行き普通列車、塚山駅付近でも秋田行き列車がが吹きだまりに突っ込んで立ち往生。この影響で上信越線客車34本運休。上越地域では午前5時ごろ二本木駅近くで貨物機関車が脱線。ダイヤの乱れで十日町発新潟行き準急「うおの」が小千谷駅で7時間半立ち往生。14日まで一日20本ほど計画運休。国鉄は12〜13日朝にかけて信越線30本、合わせて65本の除雪列車を走らせ、除雪作業に1300人を動員(新潟日報)

白根(積雪30cm)、三条(同1m)、見附、長岡(1m42cm)は交通確保。(新潟日報1月14日まとめ)

1月16日

沿岸部を中心に大雪でダイヤが乱れ、国鉄は谷浜ー呉羽間で貨物取扱を停止、新潟でも北陸線郷津以遠の貨物を17日まで取扱停止。佐渡でも大雪で全島バス路線が機能せず。津軽海上を中心に海上は大時化で、北海道では漁船11隻転覆、19隻不明で二人の死亡を確認、青森では21隻が集団遭難し24人不明(新潟日報)

1月17日

貨物列車運休が続く西頸城地方でガソリン不足。糸魚川市長が県知事にガソリン緊急輸送を依頼(新潟日報)

1月19日

18日夜から上越地域で猛吹雪により停電。20日は上越線、北陸線、信越線で計42本が計画運休(新潟日報)

1月21日

暴風により白根、佐渡を中心に建物被害16棟、佐渡では護岸決壊。新津市で発生した集団赤痢が60人を超える(新潟日報)

1月22日

午後2時すぎ、長生橋脇で除雪作業中交通死亡事故を起こす。「お葬式の時も雪が降り続いていた。霊柩車が動かないので役所のジープを使うことにした。ジープも駄目な時は、そりで皆で引っ張って行こうと覚悟を決めた。雪の壁の中を3台のジープでお葬式を済ますことができた。この道も翌日には交通不能になってしまった」(同京坂)

長生橋東詰14時25分ごろ建設省長岡工事事務所のダンプカー(清水英一運転手28歳・同市北出町)が信濃川に雪を捨てようとバックした際通りがかった同市宮内本町2、染め物商五十嵐次郎吉さん57歳をひっかけ頭と腹をひかれて即死した。五十嵐さんは同市大島町の親類の葬式に行く途中だった。長岡工事事務所はブルドーザー1台、ダンプカー5台で長生橋東詰国道8号を除雪中で、車の誘導委員として臨時人夫稲川恵一26歳・同市横山町)が付いていたが、他の車の様子を見ようと現場から10mほど離れていた。清水運転手は西脇じゃり店勤務で、除雪作業に雇われてこの日が初日だった。長岡署は業務上過失致死で取り調べ。

記事は23日朝刊社会面(11p)4段で見出しは「雪捨てのダンプにひかれ/通行中の老人即死/長岡」

16日以来の猛吹雪で国鉄は連日計画運休。北陸線郷津以遠の貨物取扱停止は継続、新たに飯山線向け貨物も受付停止(新潟日報)

1月23日

長岡国道は関原、曽地峠の放棄を決めて職員引き上げ、機械はできる限り下ろして長岡ー三条間の除雪に投入。「新飯田、三条地区、米山峠、小千谷以南が交通途絶になっているので入ってくる車も殆どなく」(同京坂)。「国道8号線で最も良く整備されている三条ー長岡間は今回最大の豪雪地であったにも関わらず、今町、中之島の市街地通過地点で屋根からおろされた雪に埋めこまれるまでは比較的長く命脈を保った」(『雪のカルテ』)。

1月24日

23日に下越一帯で猛吹雪となり各地で列車が埋没し、24日国鉄は164本を計画運休し、自衛隊高田・新発田部隊から694人の自衛隊員の出動を求めて除雪作業に当たる。西蒲原・中蒲原を中心に50校以上が臨時休校。東三条駅で立ち往生していた下り急行「越路」が24日午後5時過ぎ、続いて下り特急「とき」が午後6時13分新潟駅に到着。この時点で立ち往生列車は信越線3本、磐越西線1本残っていた。(新潟日報)

土屋雷蔵が閉じ込められたのはこの「とき」か?

24日昼過ぎ福井県勝山市で表層雪崩が発生、住宅3棟3家族19人が生き埋めとなる。同日4遺体を発見、倒壊した家から出火。(新潟日報)

25日17時現在で自動車通行可能区間新潟日報取りまとめ
【下越】新潟ー白根/新潟ー内野/新潟ー酒屋/新潟ー亀田ー新津ー小須戸/新津ー水原/水原ー横雲橋/水原ー豊栄ー泰平橋/豊栄ー佐々木ー乙/水原ー新発田/新発田ー菅谷/新発田ー稲荷岡/中条ー築地/中条ー黒川/岩船ー村上ー関口/三条ー新飯田【中越】長岡ー宮内/長岡ー関原/土市ー十日町ー堀之島線分岐点/十日町ー十日町橋/六日町ー田口/六日町ー石打小出ー大湯【上越】直江津ー犀潟/直江津ー浦川原/直江津ー高田ー新井/新井ー十文字/高田ー今俣/高田ー大口/高田ー棚島/青海ー糸魚川ー名立【佐渡】両津ー相川

1月26日

本省に雪害対策本部設置される。「1月24,25日まで辛うじて維持していた国道も…全く途絶するに至り、雪害対策本部にブルドーザー、グレーダー等の機械類とオペレーターの増強を依頼した」(地建十年史比留間豊道路部長)

26日午後省内に平井学道路局長を本部長とする雪害対策本部(仮称)を設ける。「今後も積雪が見込まれるので、さらに幹線道路の確保に努力されたい」「各区地方建設局に関東、中部方面との輸送路確保のため、国道8号線と18号線(高崎ー直江津)の復旧作業に全力をあげるよう指示した」。同省が雪害対策本部を設けるのは初めて。

26日現在の積雪は富山市280cm、高岡市295cmで国鉄北陸線福井ー富山間は完全ストップ。「同局に入った報告によると、一級国道のうち、北陸地方を中心に20箇所、延べ400kmにわたって不通箇所が出ており」「23日山形市で開かれた新しい除雪機械展示会に出品された大型モーターグレーダー、ロータリー除雪車など新鋭機械13台を長岡へ優先的に輸送し、上越方面の除雪作業を徹底的にやるよう国鉄当局へも要請」(新潟日報)

17日に公務のため上京していた塚田知事が鉄道復旧を待ちきれず自衛隊ヘリで市ヶ谷基地を出発、天候不良で新井で一時不時着し、高田駐屯地へ着。上京中だった新潟日報成沢編集局長も一緒。(新潟日報)

22日8時20分上野発新潟行き普通列車が長岡で3日の足止めを経て26日午後3時53分新潟駅に到着、65時間20分の遅れ。乗客は366人(新潟日報)

1月27日

建設省雪害対策本部27日午後発表。北陸地方幹線道路(一級国道)の不通箇所は13,延べ259km。18号開通が30日の見込みとしている。

不通箇所
【7号】山形県境ー朝日村間32km開通不明/中条町ー新発田市加治間12km開通不明【8号】白根新飯田ー三条10km27日中開通/三条市内1km28日開通/長岡市ー柏崎市25km30日開通/柏崎ー柿崎25km30日開通/直江津市ー能生町28km28日開通/青海町ー富山県境16km開通不明/石川県加賀市ー福井県境8km開通不明【18号】新井市ー長野県境23km30日開通【17号】長岡市宮内ー南魚沼郡大和町48km開通不明/塩沢町ー湯沢町23km開通不明【41号】富山県大沢野町ー岐阜県境8km開通不明  開通不明は2月上旬の見込み(新潟日報1月28日掲載)

塚田知事は高田で1泊し27日午前新潟市総合グランドわきに着陸。「新飯田、三条地区、米山峠、小千谷以南が交通途絶となっているので、入ってくる車もほとんどなく長岡三条間は除雪された道路が白々と続いているのみであった。知事がヘリで上空からこれを見て道路はまず改良が第一だと痛感された話を聞いて」(京坂)はこの日か。知事は同日県庁で防災会議を招集。上越線複線化の早期実現と国道のバイパス化を訴えた。

ちなみに知事の上京は「新潟ー東京間の無雪道化をはかる関東高速自動車道打ち合わせ会議と北陸三県合同雪害対策会議」だった(新潟日報)

この日は数日ぶりに晴れ間となり、三条市街国道8号沿線で雪下ろしが始まって8号埋まる一方、各地で建物倒壊が相次ぐ。まちなかは橇も通れないため北越銀行三条支店は長岡へ6億円の現金輸送を50人の行員が背負って行った。国鉄は県防災本部の要請で野菜の緊急輸送を実施。関東方面、青森方面から38本の列車が28日から29日にかけて各地に到着予定(新潟日報)

1月28日

新潟ー長岡間は6日ぶりに直通列車が運行。国道8号三条市街が4mの積雪に加えて屋根雪のため除雪に「最低3日以上」を要する見込みで、県防災会議は高田施設大隊に要請し瑞雲橋手前から三条競馬場を横断し信濃川に船を並べて仮橋を架けることに。長岡柏崎間は大島地区で三条同様の事態となっており、これを迂回して田んぼの中に鉄板を敷き詰めて仮道を作る。計画実施は北陸地建で検討(新潟日報)

長岡市旭町踏切付近で自衛隊が火炎放射器で融雪実験。救援の第12師団がたまたま3台の火炎放射器を持ってきていたもので、国鉄関係者、市民ら200人が見物。効果は上がらなかった。(新潟日報)

建設省は次官会議で東京ー新潟を結ぶ8号18号の交通確保について関東、北陸両地建間で連絡し早急に開通するよう指示。必要な事業費は3億円とみて、とりあえず本年度除雪事業費保留分3,567万円を重点配分する方針を決定。

1月29日

政府は災害基本法に基づく初の非常緊急対策本部を設けることを決定。政府派遣の北陸三県豪雪調査団(大谷農林政務次官、大石武一運輸政務次官、古屋亨総理府副長官ら14人)が磐越西線経由で午後に新潟到着。県庁で知事、星野国鉄新潟支店長、加藤北陸地建局長らの説明を聞いたあと、吉浦副知事の案内で国道8号を白根まで視察。寒気が緩み三条を中心に建物倒壊相次ぐ。

この日衆院災害対策委員会に各省庁から上がった報告
【運輸省】28日17時現在の滞留貨物は新潟地区121,000t、金沢地区232,000t、その他695,000tで計1048,000t。生活必需品を中心に重点輸送を計画。新潟向け70両、金沢向け230両。国鉄損害額は29億円。【建設省】27日15時時点で除雪計画道路延長に対する不能延長は1級国道351km(14%)、2級国道377km(22.1%)、地方道2,916km(31.1%)。【郵政省】28日現在で郵便の滞留は54,700通で3,4日の遅れ、小包は7,000個で1週間の遅れ。雪害地あては郵便758通、小包3,064個。金沢郵便局に災害対策本部を設け、新潟、富山、石川各県宛小包の引き受けを停止。【文部省】被災した学校は529校、被害金額は9,592万円。26日現在でおよそ200校が休校。【警察庁】29日現在で死者77、行方不明9、負傷16人。建物全壊187、半壊116、床上浸水45、床下浸水818、崖崩れ8箇所、被災世帯316、被災者1,652。(新潟日報)

国道8号関原の雪上道路敷設のための鉄板輸送のため、18号田口ー直江津間、8号直江津ー長岡間で30,31の2日間一般車両の交通を制限。ただしこの日以降まとまった積雪があり、31日付新潟日報では1日から交通規制となっている。鉄板輸送だけでなく、県内各地に緊急物資を運ぶため、県道も含め広域で規制が行われた。

加藤地建局長コメント全文

国道8号線の除雪では第一の重点を新潟ー長岡、第二の重点を長岡ー柏崎に置いている。第一の重点区間の最大の難所はやはり三条市内の1km。これを別にすれば新潟、長岡は2,3日前から1車線は確保していた。ところがこの1kmに300万立方メートルの雪がのっかっており、しかも市街地なので動員できる機械力んいも限度がある。

第二の重点区間は長岡と柏崎の両方から攻めているが、これも2,3の部落内が障害になっているので部落を避けて鉄板を敷いたバイパスを通すことにした。鉄板は1200m分を千葉県の船橋市に注文し、トラックで18号線を通って今日(30日)は県に入った。部落を通って除雪しようとするともう10日間は必要とみられるが、また降って来たんので8号線開通の見通しといってもいまのところちょっとわからない状況だ。

今度の豪雪で感じたことは雪上車が必要なこと、機械力が足らないこと、こんど国道をつくるときは市街地を避けてバイパスで逃げることだ。

31日付新潟日報掲載

8号線開通まで

鉄板の延長は1,200m。関原で田んぼに雪上バイパスを作る予定で東京からトラック(7t積み)7台で輸送。このため県交通課と公安委員会が30,31日に輸送路確保のため交通規制を予定していた。30日に千葉県船橋市を出発、国道18号を(県境は28日に開通)移動し柿崎で1泊、31日はトラックの整備で午前11時にようやく出発するも1台はギアの故障で脱落。米山峠は柏崎土木出張所が30日から徹夜で除雪したが、4時間でわずか5kmしか進めず、15時に米山駅に到着。30日10時長野市を出発した7台は15時に高田通過、柿崎で宿泊。トラックは「災害対策緊急物資」と書いた幕を下げ、通行規制中の国道を通行。鉄板の輸送はこのほかに31日9台、1日4台が通過する予定。

長岡国道柏崎出張所と上越国道は曽地峠の開通を目指して除雪。30日に自衛隊の出動を要請したが断られ、自力開通を目指して1日はブルドーザー5台とショベルカー1台を動員。曽地峠の積雪は2.5m。関原に運ぶ鉄板は柏崎で待機中。

ところが曽地峠の開通が難しかった模様。3日に柏崎側から曽地峠頂上まで、長岡側は関原入り口まで除雪が終わり、残り区間は3mを超える積雪。4日からブルドーザー、ショベルカーなど16台を投入し6日から開通させる予定(2月4日新潟日報)

8日にようやく28台5,600枚が集結。9日に集結地の白鳥町に到着し同日500mを敷設。10日に完了予定。8号線関原町に2~3mの積雪があり、旧県道と田んぼで2,031mをバイパスして上除町で接続する。本省が27日に長岡柏崎間の開通を30日としていたが、10日以上遅れたことになる。

同日は長岡市街、今町等でも70~80台のブルドーザーで除雪作業が行われ、11日には開通の見込み。(2月10日新潟日報)

この鉄板道路は11日に開通し、国道関原はその1週間後18日に開通した模様。

百数十人の応援者と50数台の機械,更に借上54社の機械を各グループに割り当て、長岡市内,大島地区,関原地区の路面を出す計画をたてた。市内の圧雪は2日間交通を止め,ブル1台に自衛隊50~100人をつけてツルハシで割り口をつける作業を行ない,一大壮観であった。鉄板道路は地元の業者に頼んで人夫数百人を出してもらって11日に完成させた。大島は13日,関原は18日開通ということになっている。この大作戦は,物量戦みたいなもので特に問題はなく,しかもこの時期には、わりと降雪が少なく仕事は順調に進んだ。戦が終って機械が堤防上に数百mも並んだ

(同京坂)

2月1日

県は三条、長岡、見附、栃尾、燕、加茂、小千谷の7市と与板町に対し災害救助法を発動。雪害に対する適用はこれが初めて。

鉄道は北陸線全線が開通し、6日以降は60%運転の見通し。1月17日から途絶していた只見線の除雪作業も30日から開始され、1日時点で小出ー越後須原間までめど。弥彦線は北三条ー東三条間で屋根雪が線路上に積み上げられて線路除雪を阻害。越後弥彦管理事務所は金子三条市長に善処を申し入れた。

2月2日

知事は災害救助法適用市町村を白根、五泉、分水町、吉田町、越路町、三島町、川口町、下田村、山古志村の9市町村に拡大。政府対策本部長の河野建設大臣が雪害視察のため4日上野発特別列車で来県の連絡。同行は衆院雪害対策特別委員会の稲葉委員長。

2月3日

県豪雪雪害対策本部で県・国鉄・北陸地建・自衛隊の4者連絡会議を開催。4日増派される陸自東部方面第一師団2000人を全員上信越線長岡以南の計画除雪に充てる決定。県内自衛隊はおよそ5000人となり、うち4000人が除雪作業にあたることになる。

また席上、北陸地建から管轄国道路線の確保については自衛隊を使わず、自力で機械除雪するとの発言があった。

2月4日新潟日報

2月4日

河野建設大臣、特別列車で来県。途中長岡視察の予定を変更して新潟県庁に直行。知事の説明を聞く。同行は稲葉修衆院災害対策特別委員長、広瀬運輸省官房長、平井建設省道路局長、大石国鉄常務理事ら。説明のあと会見を開き「道路交通がまひした原因は、新潟県の道路整備が遅れていることにあるので、明年度は本県の道路整備を重点的にやる考えだ」などと話した。5日から三条、長岡を視察。

この時の塚田知事の説明ではこの時点での被害額114億円とし、信越線の早期複線化、主要道論の改良舗装とバイパス化、関東高速自動車道の早期実現を要望。

災害救助法適用に村松町、入広瀬村、守門村を追加。便乗申し込みが殺到したため塚田知事は「今後よほどの事態がない限りこれで同法の発動は打ち切る」と明言。

2月8日

23日から運行不能に陥っていた弥彦線東三条ー越後長沢間のうち、東三条ー大浦間が17日ぶりに開通。同日北三条ー東三条間の除雪が完了し、9日から全線開通。国鉄は準急以上の長距離列車を10日まで運休と決定。1日時点で6日以降60%の運転見通しとしていたが、7日時点で旅客30% 、貨物50%と未達。

県は広神、中之島、栄の3村に災害救助法適用。計23市町村となった。塚田知事は会見で「これ以上追加することは絶対にない」と宣言。

2月11日

上信越、北陸線で19日ぶりに急行列車が復活。乗車券は当面販売制限を設けて運行。越後線、魚沼線でも運行復活。23日以来不通だった越後交通長岡線西長岡ー与板も開通。与板、三島はようやく孤立が解消。与板ー大河津間は除雪は完了したものの、雪解け水で40cmの冠水があり開通の見込みは立たず。

2月12日

長岡国道工事事務所が8号線曽地峠の危険箇所で人口雪崩を起こして危険を取り除く。同事務所では初の試み。

長岡市内の国道は9日から自衛隊1400人が2車線幅の道路を掘り起こし。ツルハシとシャベルで雪を崩して50台のトラックで信濃川にピストン輸送。

佐渡の集団赤痢が150人に拡大し一人死亡、新井市でも集団発生、栃尾では腸チフスが発生。

2月17日

国鉄十河総裁が新潟入りし「おわびと激励」。会見で「複線化を急いでやれるよう政府にお願いするつもりだ」と述べる。航空便が再開し第二便で作家の安部公房が訪れ各地を廻り2月19日付新潟日報に『ぶらり豪雪を見て』を寄稿。