戦後の住宅施策

終戦直後から軍人、軍属、満州を始めとする海外領土からの引揚者は660万人と推計され、1947年までに624万人が引き揚げた。(https://www.jacar.go.jp/glossary/fukuin-hikiage/)。国内では都市空襲によって住居を失った人も多く、終戦直後の住宅不足は420万戸(建設省20年史)といわれ、住宅難が大きな社会問題とされた。

敗戦の11月に戦災復興院が発足すると住宅緊急措置令により既存建物を住宅に転用、翌1946年には臨時建築制限令を公布、人口10万人以上の都市への転入制限と、映画館、料亭などの建築を一時的に禁止して住宅用資財の確保を図った。(建設省20年史)。

経済白書に「もはや戦後ではない」と記載されたのは1956(昭和31)年だが、1959(昭和34)年の建設白書では「住宅はまだ”戦後”である」と記載されている。建設省設立(1948年)からのおもな住宅施策は

  • 1950(昭和25)年 住宅金融公庫設立
  • 1951(昭和26)年 公営住宅法制定=低所得者っへの住宅供給
  • 1955(昭和30)年 10箇年計画開始
  • 1957(昭和32)年 5箇年計画開始(上記10箇年計画を短縮し、同年4月1日現在の住宅不足分232万戸と新規需要20万戸/年の解消を目指して初年度は政府19.9万戸、民間30万戸の計50万戸ペースで建設。
1941(昭和16)年 3.8
1948(昭和23)年 3.2
1950(昭和25)年 3.2
1953(昭和28)年 3.3
1955(昭和30)年 3.5
建設白書昭和34年より 国民一人あたりの住宅面積単位畳 昭和30年でまだ戦前に及んでいない

建設白書昭和34年より 国民一人あたりの住宅面積単位畳 昭和30年でまだ戦前に及んでいない

1954(昭和29)年12月に成立した鳩山内閣は住宅対策の拡充を重点施策に上げ翌年度に42万戸の住宅建設を公約。10箇年計画はこの内閣で策定された。次いで石橋内閣が先の10箇年計画を5年に短縮。

公営・公庫・公団住宅の投資(建設白書昭和34年より)

  戸数 金額
1958(昭和33)年 169,193 691億5900万円
1959(昭和34)年 181,115 798億1800万円